
[概要]
THE EUGENE Studio 1/2 Century later.
“Series of White Painting” (Shiseido Gallery, 2019)
サイズ : 外装 455mm x 305mm
構 成 : 3部構成[カタログ/論考集(日本語)/論考集(英語)]
仕 様 : ボックスイン
刊 行 : 資生堂ギャラリー(2019年)
頁 : カタログ 90ページ、 論考集(英語) 74ページ、論考集(日本語) 70ページ
価 格 : sold out ※完売致しました。再販をお待ち下さい。
[書籍概要]
資生堂ギャラリーより図録が出版されています。
THE EUGENE Studio/Eugene Kangawaの“Series of White Painting” (2017–)、 “Beyond good and evil, make way toward the wasteland.(善悪の荒野)” (2017)ほか作品図像と6本の論考を、
図録と小型論考集(英・日)の三部構成で収録。
中のページは、取り外し飾ることができる仕様になっています。ぜひご一読下さい。
米オクトーバー誌、フリーズ誌等に寄稿する、アメリカの批評家デイヴィッド・ギアーズは、論考『モノクロームの中の情念』(本図録収録)で、本作“White Painting”シリーズを〈移動式の礼拝建築〉と名付け、「西欧圏における絵画のモノクロームへの認識を転覆させる可能性を秘めている」と述べています。
モノクローム絵画の例を挙げ、本作が、モダニズムの以前の偉大さを取り戻そうと模索する皮肉めいたコンセプチュアルアートの系譜とも、ゾンビ・フォーマリズムによる絵画の価値の減価とも、旧来的な抽象画とも異なり、「ポータル(窓)と全ての物質的なモノの中間地点に位置する、不確かな場所」としての地平にあると論じています。
[掲載論考一覧]
デイヴィッド・ギアーズ(美術批評家)/
『モノクロームの中の情念』
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伊藤賢一朗(資生堂ギャラリー キュレーター)/
『つながりの「アート」のほうへ』
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長谷川新(インデペンデント・キュレーター)
『「1/2 Century later.」——コンセプチュアル・アートの場合』
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宮津大輔(アート・コレクター)
『50年後に向けたTHE EUGENE Studioの存在意義を考える』
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加藤杏奈(インデペンデント・キュレーター)
『軽やかなスケートボーディング、タイムラインの越境の経験』
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ジャン=ガブリエル・ガナシア(パリ第六大学 人工知能研究者)
『デジタル時代の風配図 オンライン・ライフの基本方位』

[論考の紹介]
『モノクロームの中の情念』
デイヴィッド・ギアーズ(美術批評家)
“例えば、ロトチェンコからマレーヴィチへと――もう一方の側へ赴くことにはどのような意味があるのだろうか。あるいは、いっそうのこと、この両者の間に居座り、それに従って、持ち運び可能「かつ」拡張されたもの、忠実な物質であり、「さらに」情動的に構成されたネットワークから生まれ出たものであるという絵画の超越的な前提を映し出すのはどうだろうか。この問いは、一見すると何の造作もないモノクロームに見える、3枚1組のザ・ユージーン・スタジオの『ホワイト・ペインティング』(2017)の複雑さを告げることとなる。”
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“ザ・ユージーン・スタジオの『ホワイト・ペインティング』トリニティの根底に横たわる愛である。モダニズムの以前の偉大さを取り戻そうと模索するコンセプチュアル・アートの皮肉めいた系譜とも、ゾンビの価値の引き下げとも、より旧来的な抽象画とも異なり、シニカルに引き下げるのでもなければ、言葉では表現できない記号として神秘化されてもいない、愛と信仰の2対が結びついたペインティングが存在する。”
論考はこちら
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『つながりの「アート」のほうへ』
伊藤賢一朗(資生堂ギャラリー キュレーター)
“マレーヴィチの『黒の正方形』は、カンヴァスという物質的なメディウム自体に美学的に解釈可能な様々な要素が集約しているのだが、『ホワイト・ペインティング』はといえば、カンヴァスという物質的なメディウムがメディウム自体の外側の要素をともない、現実世界の日常性へとこの作品をつないでいく鍵となっている。…『ホワイト・ペインティング』については、こうした「絵画」自体の外側(現実世界の日常性)のほうへと直接のつながりをもつ性格がこの作品の今日性なのであろう。”

[論考の紹介]
『「1/2 Century later.」——コンセプチュアル・アートの場合』
長谷川新(インデペンデント・キュレーター)
私たちが「十分敏感であれば」――『ホワイト・ペインティング』に付着した唾液やDNAやウィルス、あるいは埃、微妙な凹凸や傷といったものたちを認識できるとすれば、『ホワイト・ペインティング』外の世界の認識は恐るべきカオスとなっているのではないかということである。全てが高解像度化してく現代の社会環境下(そしてその反動・自己防御としての極端な認識の低解像度化)において、『ホワイト・ペインティング』の作品を基礎づける条件は極めて今日的問いを含んでいると言えるだろう。
論考はこちら
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『軽やかなスケートボーディング、タイムラインの越境の経験』
加藤杏奈(インデペンデント・キュレーター)
かつてはグローバリゼーションの結果生まれた物理的な場所を往来する〈渡り鳥(ミグラテゥール)〉的活動があったが、現在では〈ネット・サーフィン〉を乗りこなす〈スケートボーディング〉が重要である。その上で本展を「三つの時系列間の移動(スケートボーディング)」とし、それをもたらす姿勢に〈ポスト・ミグラテゥール〉と名付ける。
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『50年後に向けたTHE EUGENE Studioの存在意義を考える』
宮津大輔(アート・コレクター)
昨今の映画とアート、バックミンスター・フラーなどの活動を対置しつつ、ヨーゼフ・ボイスの社会彫刻になぞらえ、「視覚芸術分野を横断しながら、〈ポスト資本主義の新しい価値観〉を探る存在」を問いかける。
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『デジタル時代の風配図 オンライン・ライフの基本方位』
ジャン=ガブリエル・ガナシア(パリ第六大学 人工知能研究者)
本展に並行する思考として、「オンライン状態は社会的実存に先立ち、これを条件づける」と定義し、インターネットに接続/非接続される「オンライン」、「オフライン」、「オンライフ」、「オフライフ」4つの状態を、「サイバー空間という未知の流動的な世界」における「現代の〈基本方位〉」に見立てたエッセイを寄せる。
