Beyond good and evil, make way toward the wasteland.(JP: 善悪の荒野)
2017. Sculpture, Installation. Ceramic, iron, wood, glass, ash, other. 8900×3200×4200mm.
「Beyond good and evil, make way toward the wasteland.」は、映画『2001年 宇宙の旅』(スタンリー・キューブリック、1968年)のラストシーンに登場する原寸大の真っ白な部屋を彷彿とさせる、破壊/風化を経た彫刻作品。ガラスケースの中に、塵が積もった椅子、ベッド、キャビネット、欠けた大理石の柱、油絵などが風化した状態で収められています。
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“——劇中でこの部屋は、「モノリス(≒人類を導く高度なコンピューター)が人類を進化させるために用意」した部屋として登場します… しかしこのインスタレーションには、劇中でこの部屋の中央に存在したモノリスはありません。本展「1/2 Century later.」において本来のモノリスの場所にあるのは、ホワイトペインティングでした。”
(『THE EUGENE Studio 1/2 Century later.』配布ハンドアウト(資生堂ギャラリー)より)
論考
「『1/2 Century later.』——コンセプチュアル・アートの場合」
長谷川 新
論考「『1/2 Century later.』——コンセプチュアル・アートの場合」
長谷川 新
図録「THE EUGENE Studio 1/2 Century Later」(資生堂ギャラリー、2017)に収録
長谷川 新
1988年生まれ。インディペンデントキュレーター。主な企画に「無人島にて——「80年代」の彫刻/立体/インスタレーション」(2014年、京都造形芸術大学 ギャルリ・オーブ)、「パレ・ド・キョート/現実のたてる音」(2015年、京都、ARTZONE&VOXビル)、「クロニクル、クロニクル!」(2016-2017年、大阪、Creative Center Osaka) 、「不純物と免疫」(2017–2018年、東京、トーキョーアーツアンドスペース本郷、沖縄、BARRAK1、バンコク、BARRAKパビリオン)など。第58回ヴェネツィアビエンナーレ日本館指名コンペ参加。2017-2018年度PARADISE AIRゲストキュレーター。日本写真芸術専門学校講師。日本建築学会書評委員。
ヨーゼフ・ボイス「なんでも可能ということは、すべてが不可能ということさ。」
ミヒャエル・エンデ「まったくそうです ! 」*1
本稿はTHE EUGENE Studio(ザ・ユージーン・スタジオ)による個展に際して刊行されるカタログのために執筆されている。筆者に向けられた企画者側の希望は、THE EUGENE Studioの作品・プロジェクト・実践を、コンセプチュアル・アートの文脈において定位してほしいというものであった。本展の「ごあいさつ」に記されている「純粋な現代美術のコンセプチュアルな創造性と文脈性、フォームを包含しつつ従来のアートの境界線を押し広げてアクチュアルに次の社会を創造していく」という姿勢の肯定。そしてそれこそが「21世紀のアーティスト像」であるという意志の提示。筆者が本稿でまず試みるのは、この意志を基礎づけることである。
作品を「コンセプチュアル・アートの文脈において定位」することが、「日本」と「欧米」を序列化し、そこに断絶があるかのように振る舞い、その断絶の距離の測定行為自体が価値創出であるかのように仮構されてはならないし、あるいはまた、コンセプチュアル・アートが無限の可能性を秘めている技法であるかのように筆をふるうことも周到に避けなければならない。コンセプチュアル・アートは——その主たる技法である「アレゴリー化」も含めて——決してWikipediaではないし、万能な技術でもない。そうした自制を経ずして本展の作品をスタンリー・キューブリックやロバート・ラウシェンバーグやアンセルム・キーファーと結びつけることは端的に無益である。少なくともそれは批評ではない。THE EUGENE Studioの実践の可能性は、際限のない拡大、接続過剰、複雑化ではなく、むしろ必然的な形式化のプロセスから立ち現れるはずだ。ハイデッガーが記したとおり「輪郭を与えるものが、物に終わりを与える」のであり「この終わりから始まるのである。」*2 これこそがコンテンポラリー・アートの倫理である。
針生一郎が「日本におけるコンセプチュアル・アートの生誕宣言といっていい個展」*3 だと絶賛したのは関根伸夫の『空相—油土』(1972年)であった。おそらく現在この判断に両手を挙げて賛同を示すものはほとんどいないだろう。『空相—油土』は3つの油土の塊から成る作品であり、現在の眼からすればむしろ彫刻的な実践として看取されうる。この針生の意見に対しては無論当時から異論が提出されており、例えば藤枝晃雄は(その論難の理路にもまた歪さがあるのだが)関根の当該作品を「コンセプチュアル・アートと称されるべきではない」と断言している。*4 鈴木勝雄が詳細に論じているように、*5 日本においてコンセプチュアル・アートは1969年をその画期として、数多くの関係者たちによって喧々諤々議論が交わされながら解釈が乱立し、「概念芸術」という翻訳語のもとで強く時代的限定性を付与されることとなった。極めて物質的で、行為の痕跡が過剰なまでに残存しているその3つの油土の塊を「コンセプチュアル・アートの生誕」の咆哮であると針生が受けとった際、針生の鼓膜には確かに「態度が形になるとき」展(1969年)の残響があったはずである。

Fig.1 Nobuo Sekine, Phase of Nothingness—Oilclay Year of production: 1969. Oilclay, Dimensions variable, Tokyo Gallery, April 18 - May 2, 1969.
先ほど筆者は鈴木の論を引いて、日本において概念芸術が時代的限定性を帯びてしまっていると書いた。筆者はそのこと自体には疑いを抱かない。しかし同時に、日本の戦後美術/現代美術はコンセプチュアル・アートの全面化という視点から再考することも可能だ。発注芸術、デザインの積極的導入、インスタレーションアート(空間展開)、制度批判、スタジオの企業工房化。これらはコンセプチュアル・アートの全面化であるとともに管理の全面化である。椹木野衣をはじめとする「1970年=万博」という切断面*6はこのコンセプチュアル・アートの全面化という経脈を看過してしまっている。そこには確かに連続性が存在している。アレクサンダー・アルベッロもまた、コンセプチュアル・アートがひとつの時代の様式にすぎないというロザリンド・クラウスの診断に抗して、「かなり再設定された形式においてではあるが、〈コンセプチュアル・アートは〉かつてないほどに繁栄している」と論じている。*7 アルベッロに言わせれば、「コンセプチュアリズムは芸術を自己充足という束縛から断ち切るのに極めて重要」*8であった。芸術のための芸術、アートの極北としてしばしば位置づけられているコンセプチュアル・アートは、むしろ芸術と社会との相互依存関係を明かしている。コンセプチュアル・アートの誕生には畢竟公共性の問いが横たわっている。美術が社会を変革し、同時に、社会が美術を変革する。倫理的な問題を扱う作品があるのではなく、この構造と形式自体を倫理であるとする地点。その営為に携わるものが全ての人類であると確信すること。「全ての人間がアーティストである」ためのあらゆる実践をキュレーションと呼ぶ。
コンセプチュアル・アートの「1/2 Century later.」はどうなっているだろうか。現在、キュレーターはコンセプチュアル・アートの諸技術を公共性の問いのために積極的に導入し、同時に、アーティストたちはコンセプチュアル・アーティストとして再定義されている。この共犯関係によって発生するのは自己言及と自己保存をめぐる技術の全面化と自己増殖だ(アーカイブや再制作の技術の氾濫はそのひとつである)。ここには「無限の可能性」への反省が存在しない。そこに物質があるということはそれが有限だということだ。これは悲しむべきことでは全くない。『空相—油土』はその「空相」をめぐる思考すらもが「油土」の物理的有限性から駆動している。私たちは冒頭の二人の会話の見解の一致を幾度となく思い出すべきなのだ。驚くべきことに、彼らの対話はあの一点を除いてはほとんど全編にわたって意見を違えているのだから。
コンセプチュアル・アートの「1/2 Century later.」。THE EUGENE Studioの個展を考えるとき、そこには確かなヒントが存在している。ひとまずそれを「極性の両立」と「カオスへの抵抗」と呼んでおこう。
本展は大きく『善悪の荒野』、 『White Painting』、 『Drawing : Model landscape for Agricultural Revolution 3.0』の3つに分けられる。ただ、本展の基本構造が「破壊から再生へ」というテーマと符合して前者ふたつの対比から成立していることから、ここでは『善悪の荒野』と『White Painting』に限定して論を進めることとする。
ロバート・ラウシェンバーグは1953年の個展において『ホワイト・ペインティング』を発表し物議を醸しているが——「不当に破壊的な行為」という評が残っている——、この時『ブラック・ペインティング』もまた展示されていたという点をまずは思い出そう(こちらは「手作りのガラクタ」と評されている)。 THE EUGENE Studioの個展においては、文字通り「ガラクタ」と化した部屋が安置されている。この部屋は『2001年 宇宙の旅』の終盤のセットを模したものであるそうだが、*9 当時の批評に倣うのであれば、『善悪の荒野』はいわば「発注されたガラクタ」=現代における『ブラック・ペインティング』であり、ある意味で、モノリスは不在なのではなく部屋と一致しているとすることもできるだろう。これは決して突飛な意見ではなく、作品内で相反するものが両立している状況の提示は本展全体にも関わってくる重要な視点である。
Beyond good and evil, make way toward the wasteland.
2017. Process (part).プロセス(部分)
キッチュな見かけのソフト・スカルプチャーで知られるクレス・オルデンバーグであるが、*10 1963年にそれらとは一線を画したかのような『寝室家具セット』という作品を制作している。オルデンバーグは幾何学、抽象、合理性を形式的に表現することを目指し、その効果の増大を図るべく、あえて家の中でもっともソフトで意識的思考から遠い部屋である寝室を選んでいる。*11 彼はあらかじめ様々な幾何学的な図像を寝室の平面デザインに落とし込んだ上で、周到に遠近法を意識しながら三次元化を試みているのだが、この作品を当時誰よりも高く評価したのは美術批評家時代のドナルド・ジャッドであった。ソフト・スカルプチャーと幾何学性というふたつの極性を両立させる意志をジャッドが鋭く読み取っていたことは強調しておいて良い。
ベンジャミン・ブクローは、ラウシェンバーグの『ホワイト・ペインティング』には、抽象表現主義が1940年代後半から50年代初期にかけての先進的な美術界の思考を独占していることに対する敵意があると指摘している。*12 『消されたデ・クーニング』においてとりわけ顕著であるが、「消す」あるいは「白く塗る」という行為は、抽象表現主義の作家たちが重視した「筆触の唯一性」を肯定したまま作家性を否定する作用をもたらす。これは当時極めて重要な批評性を有していたが——ミニマリズムと抽象表現主義の統合、コンセプチュアリズムへの接続——、THE EUGENE Studioの『White Painting』はこうしたややにニヒスティックな批評的側面とは別の角度から『ホワイト・ペインティング』を現代的に換骨奪胎しようとしている。
『White Painting』においてカンヴァスに触れるのは作者ではなく、作者の手でもない。鑑賞者であり、鑑賞者の唇である。アメリカ、メキシコ、台湾で行われた「接吻」への「参加」は現時点で600名を超えているといい、今後も増え続ける。こうしたミニマムでありながら多様な参加の共同体の志向自体もまた、ラウシェンバーグの作品に内在していたインタラクティブな側面をポジティブに引き出したものだろう。

[Left]Series of White Painting in Los Angeles, 2017, Still from video, Dimensions variable.
[Right]“Juliette, Sandra, Mitch, Wills, Gillies, Ergas, Asheron, James, Lilly, Thomas. P, Elias, Sofia, Victoria, Mackay, Jamin, Amelius, Prince, Cathy, Valerie, Keiny, Peter, Dona, Sam, Zaret, Christina, Laurencie, Owel, James, Kairy, Frances, Thom, Sugay, Marien, Kinbary, Kalen, Morry, Callen, Mut, Elen, Bruno, Peter, Daele, Clara, Benjamin, Charlotte, Michael, Ryan, Ina, Diego, Javia, Candelas, Robin, Rucaro, Daniel, Rumi, Benney, Sarah, Emily, Jack, Peter, Kevin, Safiya, Trisha, Eric, Danielle, Paul, Floyd, Alexis, Carlos, Nydia, Samantha, Daniela, Michael, Dom, Matt, Todd, Ava, Cailin, Melissa, Kirby, Alexandra, William, McGuiness, Liliana, Francisco, Daniel, Patricia, Anna, Dalia, Ricardo, Diana, Maribel, Barbara, Gabriela, Cristel, Kenia, Lorenzo, Gladys, Alberto, Carlos”, 2017, Canvas, 1700×1700mm.
しかし筆者にとってそれ以上に興味深いのは「解像度」をめぐる問いである。筆者との対談のなかで、カンガワは「ジョークに近いですが」と断りを入れながら、人間の視力がもう少し良ければ、唾液、 DNA、ウィルスや細胞といった付着物が見えて、『White Painting』をオブジェクトとして受け止めるはずだというアイデアを提出している。*13 本作においては、このアイデアこそがむしろ賭け金となるべきではないだろうか。ラウシェンバーグ自身は1999年に、『ホワイト・ペインティング』を時計に例えながら次のような会話をしている。*14
ウォルター・ホップス「彼(=ジョン・ケージ)は『ホワイト・ペインティング』が、僕たちの目には見えない小さな埃のための着陸帯だと言っていたね。影のための着陸帯でもあると。」
ラウシェンバーグ「僕は時計と呼んでるんだよ。」
(中略)
ラウシェンバーグ「(作品に対して)十分敏感であれば、それを読むことも、その部屋に何人いるのかも、いま何時なのかも、外の天気がどうなのかもわかる。」
デイヴィッド・ロス「必要な情報が全部あるわけだ。」
ラウシェンバーグ「欲しくなった?自分で描いたらいいよ(一同、笑)」
「十分敏感であれば」、確かにあたかも時計の針の差異によって時間の変移を知ることができるように、その作品から多くの情報を取得することができるだろう。私たちの身体のインターフェイスは貧弱であるがゆえに、『White Painting』はただの白いカンヴァスとしてしか知覚できない。展覧会においてアーカイヴとしての記録写真や映像が併置されていたのはその証左である。とはいえここで問題になるのは、私たちが「十分敏感であれば」——『White Painting』に付着した唾液やDNAやウィルス、あるいは埃、微妙な凹凸や傷といったものたちを認識できるとすれば、『White Painting』外の世界の認識は恐るべきカオスとなっているのではないかということである。全てが高解像度化してく現代の社会環境下(そしてその反動・自己防御としての極端な認識の低解像度化)において、『White Painting』の作品を基礎づける条件は極めて今日的問いを含んでいると言えるだろう。私たちに必要なのは、無限を正しく恐れることであり、そのための形式として、1でも無限でもない在り方として、「極性の両立」と「カオスへの抵抗」がある。であるならば、THE EUGENE Studioの個展は「破壊から再生へ」ではなく、破壊と再生が同時に行われるような状況の提示だと読み解かれなければならない。そのような状況は無論「荒野」に違いはないが、その荒野のビジョンを提示することが何よりも本展の倫理であろう。「1/2 Century later.」のコンセプチュアル・アートはここから思考を開始できるのだ。
「私たちは、ドゥルーズにおける仮構の概念を、次のように定義することができる。それは、老いにおいて不可逆的にほどけていく世界を、〈記憶〉なしで、〈記憶〉から解放されたかたちで縮約し、迷信のようなまがいものの絆を与えることで、当の耐えがたい崩壊に抗う行為である。」*15
注釈